卒業してから早5日・・・




進路が決まってない情けない人間は、親とともに、今日は京都市発達障害者支援センターまで行ってきました。




前々から、民間の施設とか、ハローワークとか回ってるものの、「パッ」としないのと、自分のやりたい仕事の方向性は自分の中では明確なものの、現実味がないのと、自分の性格・能力の不安が、つきまといます。




今日なんか自分の部屋をノックされたぐらいで、親にプチギレ(ブチギレではないですよ。)したわけで、また申し訳ないという気持ちになったわけですが、その理由は「自分がインターネットに集中して、遅刻しそうになってるから、わざわざ呼びにきたんじゃないか。」と誤って推測したからです。




そうじゃなくて、ただ服取りに来ただけだったんですけどね。




なんで、こんなしょうもないことに怒るかというと、「障がいだから、あの子はこれできないんじゃないか。」と親が過剰な心配をしているというのが、大きいです。




たぶん、礼儀を重んじる人なんかからは、この一言を見ると、「自分の親の言うことぐらい聞きなさい。あんたがモノをやるのがダラダラしてるから悪いんやろ」とか「仕事するようになったら、嫌でも『ハイ』と言って、目上の人の言うことを、きかなあかんことあるから、親との接し方から、まずは『ハイ』と言えるクセをつけなさい」というお叱りを必ずいただくと思うんですが、間違いなく、その通りです。




ただ何で、『ハイ』という言葉が社会でまかり通ってきたんだろうなという疑問は、やっぱりあります。




とは言え、自分から目上の人に『ハイ』が言えないのに、自分の考えに『ハイ』と言ってくれない目上の人にはイラ立ちを見せてしまう某知事さんみたいになっても困るし。




でも最近、某知事さんも、「厳しくモノを言わないと、組織は動かない」と表では言ってるものの、裏では徐々に「目上の人と上手くやらないと改革は難しい」ということが分かってきてるんじゃないかと、最近の顔色をテレビで見てると、なんか感じます。




だから、『ハイ』と言える人の方がいいのかなと思うんですが、自分たちの世代って嫌なことでも『ハイ』って言わなきゃいけないことは教育されてるけど、それは教育だけで、行動として気持ち良く『ハイ』って言えるかというと、そうじゃないし、やっぱり「自分の利益」みたいなモノが前にきてしまって、「相手との共益」を大事にした穏便にモノを進めるノウハウみたいなんが、身についてないのかなと、自分のことを省みても思います。




「相手との共益」は、「戦争をやめる」とか「犯罪を防ぐ」など、被害者にも加害者にもならないという大きなものもあるけど、結局、家族や職場といった身近な人間関係の中でお互い腹が立ったり、気まずくなったりしないよう、そしてプラスの方向に持っていくかってことなんかなって感じです。




そういうことを書いてたら、過剰な心配をしてくれることを逆にありがたく思わなあかんって気が湧いてきましたが、「自分」がを減らすコツみたいなんを、もっと身につけなあかんし、「そういうことを教えてくれる人が上司になってくれたらいいのにな」って思ったりします。




結局は、自分から『ハイ』と言える訓練をしないといけない気もしますが・・・




社会に出ると、親を自分なんかより、めちゃくちゃ大事にしてる人がいっぱいいるし、そういう人たちに負けないために、親の言うことをちょっとは聞こうと思ってるんですが、逆に映画監督の若松孝二さんは、ある論文の主張に対して、「親というのは拒否するものだ」とも言われてるし、とは言え、自分は拒否するほどのこともしたくないし、できないので、うまくバランスをとれるよう心がけたいです。




ということで、やっと今日の本題に入るわけですが、昨日は中村中 さんに感謝のメッセージを書きました。




昨日、書き逃したことなんですが、中さんの「事勿れ主義」 という曲のプロモーションビデオがカッコいいんです。




ずっと人にぶつかられてるのに、凛とした顔で、「こんな人たちには負けない」という雰囲気を出してるというか・・・




歌詞もカッコ良くて、まさに今、自分が思ってることが歌詞に書かれてます。




でも、ここまでのパワーが自分には、まだまだ足りないです。




だから、中さんは、やっぱり尊敬するミュージシャンです。




さて、今日は、もう1人、気になるミュージシャンについて書きたいと思います。




それは上松秀実 さんです。




昨年の秋に各ラジオ局でよく「Dear My Friends」 という曲が流れてましたが、「人の嫌な部分を見て、やってらんねぇーじゃなくて、自分はどうなのか」をもっと見ていこうというストレートな歌詞が衝撃だったというか、批判ばっかりの世の中にはまってるなって思いました。




「自分がまず人に優しくなって、やるべきことをやって、嫌なヤツに負けない人になればいい」というメッセージは、上松さん自身が今までの人生の中で、悟ったものなんかなとも感じられます。




3月4日(水)には「時代」 という曲をリリースされたんですが、この曲も好きで、今を皮肉りながらも憂いている歌詞と壮大な世界観かつ少し希望のある音がマッチしてて、感じさせられるものが、すごいあります。




最近、山口二郎さんという政治学者の方が本の中で、「今を受け容れつつ、否定する」という言葉を章立てで使っておられたのですが、まさにこの言葉がピッタリな曲だと思います。(山口さんは、この曲とは無関係ですが。)




気になる方は、ぜひ聞いてみてください。