きのう、作業所が4月からの
障害者自立支援法の制度に
移ることになっているため、
「区分認定」なるものを受けました。


おわかりの方も多いと思うけど、
簡単にいうと僕は4月から
「障害者サービス」を
受けることになるということです。


一応、今の作業所には一年間、
「自分の居場所」という位置付けで、
通ってきたんやけど、
4月からは「居場所」というよりは
「障害者サービスとしての
仕事をいただく場」という
位置付けで通うことになります。


ちょっと意地悪な書き方やけど、
今の自立支援法は
そういう考え方なんですね。


ちなみに「養護学校」が
「支援学校」って名前に変わったのも、
「特別支援教育」たるものが
始まったのも、同じような意味。


「障害者を『一人の人』として
成長させよう、自立させよう」と
いう発想ではなく、
「障害者を『生活弱者』として見て、
不得意な部分や生活環境に対して、
サービスを『してあげましょう』」
という発想。


パニック症状など情緒不安定要素が
少しあれど、なんとか『自分で
できることは自分でやってきた』
僕にとっては、どうもそういう
発想が気にいらない。


逆に言えば自分のできないことや
不器用なことに対して、
この26年間、いじめられたり、
からかわれたり、嫌味言われたり、
親や周りの人とも
関係が険悪になったりして、
何回も何回も寂しい悲しい思いを
繰り返しながら、
必死で「自分のできること」を
見つけてきて、ここまできたのに、
急に「そういう部分はサービス
しますから」と言われても、
「サービス」という言葉が本当に
軽々しくしか聴こえないし、
ものすごい違和感を感じる。


ただ単に「サービスしよう」って
発想ではなく、障害をもった人の
能力とか経験とか考え・尊厳を
大切にすることから始めないと、
本当の支援なんて
できないんじゃないか?
「当事者のくせに偉そうに言うな」
って、言われるかもしれないけど、
マジで思う。


障害者だけじゃなく、お年寄りでも
誰でも一緒で、欲しいのは
「カタチだけじゃない、
心のパイプの通ったお節介」。
あと「『生きてく力』を
養ってくれるお節介」も。


シュウさんのお言葉が、
こういうときだからこそ、
心に響いてくる。


制度上、どうしようもないにしても。