(山本シュウさんが言う)昭和のチップ的な言葉として、
「やる気あんのか!おまえ」って言い回しがあるけど、
何も「やる気がある」から「うまくできる」ではないねんな。



「うまくなりたいって思っている」

=「やる気がある」って方が正しいんちゃうかな?



ある新聞の相談コラムで女子高生の子がある作家さんに
「どうして努力するんですか?」っていう相談してて、
作家さんは「努力して何かがうまくなったら、
自分がうれしいじゃないですか?」って書いてたけど、
僕は「うーん」って思った。



たしかにそれはそう!

でも僕もそうやし最近の子は、

「自分がどう?」って基準でもんを見れへんねんな。



「人に喜んでもらえるか?」
「仮に喜んでもらえても、ただ単なるお世辞じゃないか」
って結構、疑り深くて、「自分のうれしい基準」が
わからなくなってるしね。



あるいは「自分みたいな人が

こういうこと目指してもいいんかな」みたいな遠慮もあるし、
うまくなろうとする過程で、人間関係につまづくことも多いし、
「うれしい基準」がわかってても、

高い壁の乗り越え方がわからないパターンもある。



ただそういう議論の中で、「最近の子は心が弱い」って
言い方があるけど、それは気にいらへんな。



「心が強い人」=「嫌なヤツと闘える人」って言い方やから。



「嫌なヤツ」はたしかにいる。誰にでも。僕にもいる。



でも同じ人間として、

「嫌なヤツと闘う」って考えはどうなんかな?



「うまくなりたい」=「やる気がある」って

いう気持ちを持つためには、

「自分のうれしい基準」をハッキリさせて、

「人との関わりの中で満足できるか?」を
考えることが大切やと思う。



言うは易し、するが難しやけど。