生活していく上で「判断能力」って、本当に大事ですよね。

一分一秒の判断が「歓喜」か「悲哀」、「成功」か「失敗」、
「合格」か「不合格」を決めるしね。



自分だけの話やったら、別に判断を誤っても、
お金や命がらみじゃない場合を除いたら、
何らかの取り返しがきくこともあるけど、
人と関わっての話やったら
「信用」に関わるし、ホンマしこわい。



僕自身も判断を誤って

(誤ってるとも、そのときはわからなかったこともある)、
人を怒らせたり傷つけたりして、
自分自身も傷ついてしまった経験、何回もあります。



「めちゃイケ」の寝起きドッキリで、
松岡修造さんがナイナイの岡村さんに
「メニューを開いて5秒以内に、
注文するものを決める練習をすると、
判断能力をつける練習になりますよ」って言ってたけど、

即断即決って実は

ものすごい勇気とセンスが要求されるし、
失敗する可能性もあるけど、

それを恐れてもダメやし、
そう考えると「プロの人ってすごいな」って、

いっつも思わされてます。



僕なんか迷いながらも人の方ばかり見て、
「あっもう、これでいいわ!」って、
迷いを即座に断ち切るというよりは、
成り行きで無理くり結論出してること多いし、
正直「それではダメ」だとわかってるやけど、
モジモジしてるのを嫌われたくないって
気持ちがすごい働いちゃうっていうか。



人に何か話すときでも、

「ああこれ言うて大丈夫かな?」と思ってる間に、

「大丈夫かな?」って思ってることを自然と口に出して、
話がまったくまとまってなかったり重くなったりして、
なんか人からすごい浮いてる気分になって、
さみしくなることだってあるし、
生まれつき、その場にふさわしくない発想・妄想・

感情が出てしまうから、人前に出ることが
おっくうになったりもするんですよね。



社会に「正しい」「間違えてる」はないと信じたいんやけど、
でもある程度の「正しい」はあって、
その「正しい」を分からない人は

組織でもプライベートな集まりでも、
なかなか受け入れてもらえないのも、
これまでの経験でよくわかってるし。



でもそれが苦手だから、すごい苦しかったりするし、
「一人がいい」「いやいや仲のいい友だち作って
一緒に過ごしたい」って、葛藤もずっ~とある。



だから「判断能力の高い人」って、
ホンマに憧れますね。



「それがすべてじゃない」とも信じたいけど。